今日もうららかな日差しがきもちよく、ほんとうに、外出自粛しなければいけないのかしら?とおもってしまいますが、ここ、占いハートフル新宿大久保店の前のとおりも、歩くかたは、たしかにへっています。
外出は自粛され、在宅勤務となったかたも多いでしょう。
今日は、こんな、今だからこそできることを考えてみましょう。
閉鎖的な毎日。
家にいながらにして、くりかえされる日常からはなれ、非日常の世界にはばたく方法はあります。
映画館に行くのはこわいけど、家でたまっていた録画映像、DV Dをこの機会に一気にみるのもよいでしょう。
または、日頃、積ん読になっている本をひもとくのには、絶好のチャンスです。
かるいエッセイを読んで、気分をリフレッシュするのも、もちろんオーケー。
でも、このコロナが猛威をふるう今だからこそ、わたしがおすすめする一冊があります。
1980年10月に刊行された、村上 龍の「コインロッカー・ベイビーズ」です。名著なだけに、よんだかたも多いでしょう。
しかし、この作品を貫く、破壊のテーマは、自閉を余儀なくさせられている今のわたしたちにとって、非常に魅力的です。
コロナにうちかちたい、とじこめられている、この空間と時間をぶちこわしたいという、わたしたちの無意識の欲求を満たしてくれるのが、この「コインロッカー・ベイビーズ」という作品です。
破壊は、もちろん悪ですが、じゃあ、今のわたしたちの、この日常をおびやかす根源である、突然、あらわれたコロナを壊滅させるのは、悪なの?
早く、すぎさってほしい、このいきづまる状況。
みなくてもすんでいた、パートナーの本性にきづき、離婚を考えているかたも多いといいます。
コロナ離婚ということばもきかれる、昨今。
政治、経済はおろか、わたしたちの愛さえうばおうとするこのウィルスを破壊したい。
そんな、欲求を絶妙に満たしてくれるのが、この作品です。
うまれると同時にコインロッカーに遺棄された、キクとハシ。
この世界にうみおとされた瞬間、不必要だと遺棄された二人が、ぎゃくにこの世のすべてが不必要だ「破壊せよ」という行為にかりたてられていく。
その心情は、初めてよんだ、10代のときと同様、現状では、特に理解できるのです。
わたしは、10代のときにも、さまざまな、うつうつとした時限爆弾のような感情をつねにかかえていました。
そのとき、この作品にであい、やっと破壊衝動をおさえられました。
キクとハシが、自分のかわりにぶちこわしてくれた、そんな気がしました。
評論家の三浦雅士さんが、「コインロッカー・ベイビーズ」について、こう語っています。
それにしてもあんた達いい色に焼けているね、サーファーかい?白いスーツできめてるてころ見ると、サーフシティ・ベイビーズだね?店員が金を数えながらそう聞く。ヘルメットの顎紐を締めて、いや違う、とキクは言った。
俺達は、コインロッカー・ベイビーズだ。
まるで映画の名場面である。南方の孤島から都会を破壊するために舞い戻ってきたキクが、バイクを買い求めるときに語る台詞である。「俺達は、コインロッカー・ベイビーズだ」むろん「俺達」はキクとハシだけを指すのではない。キクとハシに共感するすべての読者を指すのである。狭く暑苦しいコインロッカーと、同じように狭く暑苦しいコンクリートの街と、いったいどれだけ違うというのか。俺達はみんなコインロッカー・ベイビーズだ。「壊せ、殺せ、全てを破壊せよ」と囁き続けられているコインロッカー・ベイビーズだ、というのである。
三浦雅士2004年7月1日発行「コインロッカー・ベイビーズ」解説より
怒りのもっていきばのない閉塞感をうちやぶるような、爽快感を小説、「コインロッカー・ベイビーズ」でぜひ味わってください。
朝日奈希